みやけエコネット

ノート地球の波動、音楽、
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- 指揮者・山本郁夫さんインタビュー -

2006年夏、三宅島で歌と踊りの一大イベントが開催されることをご存じですか? 「三宅島<歌と踊りの祭典>2006」と銘打つこのイベントは、帰島1周年ならびに村政50周年という記念の年に、三宅島の長期的な復興を願って開催される音楽と踊りのフェスティバル。われらみやけエコネットプロジェクトの中心である三宅島自然ふれあいセンター・アカコッコ館も、その会場の一つとなっています。
「三宅島<歌と踊りの祭典>2006」の仕掛け人は、指揮者の山本郁夫さん。ロシア-神戸-東京-三宅島をまたにかけ、旺盛な音楽活動のかたわら、阪神淡路大震災の被災者支援コンサートや、三宅島民合唱団「アカコッコ」の指導など、災害を体験した方々を音楽を通じて支援する活動を積極的に続けている“熱き”音楽家です。 夏の祭典に向けまさに東奔西走する山本さんを訪ね、三宅島とかかわるきっかけや尽きないパワーの源、また祭典を通じて目指す夢と目標についてお話を伺いました。

神戸から三宅島へ

体験記写真

――山本さんと三宅島とのお付きあいは、いつ、どんなきっかけで始まったんですか?

山本 僕は神戸の出身なんですが、阪神大震災のときは東京にいて、音楽で何かできることはないかなと思っていました。そこで、被災した兵庫県の方が関東のいろんなところに移り住んできていたので、その人たちを励ますために「関東のじぎく会」というグループを作り、茶話会や支援コンサートを開いたりしてきたんです。そんな中、三宅島の噴火があって、三宅の人たちが大勢関東に避難してきた。あのとき僕がたまたまのじぎく会主催のコンサートを東京で開くから交流しようということになって、三宅の人たちを20人ぐらいコンサートに招待したんです。それが2000年の11月。その後、2002年の島民集会で三宅島の合唱団を作りたいという話が上がり、それで三宅島民合唱団「アカコッコ」が始まりました。

――その合唱団には何人ぐらいの方が参加していたんですか?

山本 当時は20人ちょっとかな。毎月3~4回、品川区の山中小学校で部屋を借りて、午前10時から練習をしていました。午後は別の合唱団の指導があったので僕も大変でしたけど、メンバーの多くが帰島された2005年までずっとやっていましたよ。でもなんだか評判になっちゃって、NHKの歌謡ショーに出演したりもしました。

――参加者の方にとっては合唱団はどんな存在だったんでしょうか。

山本 三宅島って、阿古や坪田、神着など5つの地区に分かれていて、もともとは地区同士の交流があまりなかったんですよね。それが、こっちに来て歌を通じて、皆さんすごく仲良しになっちゃった。他の地区の人たちとこんなに知り合えてうれしいって。そういうきっかけになったのなら、よかったんじゃないかなと思います。それと、悲しみやつらいことは背負っているけど、歌うことですごく生きる喜びを持てた、苦しいことを乗り越える力になった、とおっしゃっていました。

――音楽といっても、例えば楽器を演奏したり他にもできることはあるように思うんですが、山本さんが合唱を選ばれるのはどんな理由からなんですか?体験記写真

山本 歌はやっぱり一人ひとりが楽器だから、まずお金がいらない。誰でもが集まれる。まあ、実は言うと専門家になるには歌もすごくお金がかかるんだけど。

――アカコッコ合唱団をやっていく上で一番大変だったのはどんなことですか?

山本 大変だったこと・・・・・・あんまりないですね。神戸と東京を往復していたので物理的な大変さはあったけど、それだけかな(笑)。皆さん陽気だし、なんだかとにかく僕を慕ってくれるんですよね。そんな人をないがしろにできないじゃない。僕は情が深いから(笑)。

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