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ノート三宅島は美しさの宝庫

Image2000年噴火前の三宅島には、どんな自然があったのでしょうか。そのもっと昔には、どんな暮らしがあったのでしょうか。

三宅島に生まれ育ち、いまも三宅島阿古地区にお住まいの鈴木則子さんが、四季折々の花や鳥、満天の星空とともに過ごした三宅島の思い出を語ってくださいました。

ホトトギスの初鳴きと大豆

毎年ホトトギスの初鳴きを聞くと、父のことを思い出します。父が子供のころは、どんな仕事をしていても、ホトトギスの初鳴きを聞くと家に帰って大豆の種蒔きをしたそうです。
「山からホトトギスが鳴くとそれって帰ってきて大豆蒔いたんだよ」って。

大豆は私たち子供のころは毎年作っていましたけど、どのくらいになってやめたんでしょうか。とにかく父の自慢話で、そのときに大豆を蒔くと採れて採れて、すごく豊作になるって。そして島じゅうで麦味噌を作るんです。大豆に小豆にインゲン豆、何でも作っていましたね。だから畑にはいろんな鳥がいっぱい来ました。

Image大根の実を食べるから、島ではカワラヒワのことを大根鳥(ダイコンドリ)っていうんです。99年のことですけど、父が庭先に大根の種を蒔いて、間引きしたりして食べていたんです。花芽がつくと「その花芽を取ってくれ」って言うから、「おじいちゃん、大根の花芽を食べなくても食べ物には困らないんだから、ヒワのために種を作ろうよ」って言って花を咲かせたんです。そして大根の実がついたら、何十羽ものヒワが毎日のように食べにきました。

私が子供のころは、ヒヨドリが群れをなして隣の御蔵島に渡っていくのもよく見ました。そんな日は空も晴れて海も静かで、よく「ヒヨドリ凪だ、また御蔵のこうじみかんを食べに行くんだ」なんて言っていました。

とにかく島には鳥がたくさんいたんです。5月から6月ごろは、そのへんを車で走っていると、コジュケイが子供連れて横断するの、何回待たされたことか。ほら、カルガモの横断があるじゃないですか。あれと同じです。昭和53、4年のころですよ。それがこのごろなんて姿も見せない。鳴く声も少なくなりました。

Imageアカコッコだって、畑仕事をしているともうそこに巣ができていて、雛が口を開けてる。そんなのなんてもう当たり前のように見ました。下手にすると巣を壊してしまうから、やっぱりそのころは気を遣ったものですよ。アカコッコはこのごろは木の上に巣を作っていますね。島にイタチが入ってからですが、それまではアカコッコは地面をちょんこちょんこ歩いていて、空を飛ぶのを見たときは、ほんとにあれっと思いました。

スカシユリにハマカンゾウ・・・・・・島は美しさの宝庫

鳥ももちろん好きですが、三宅島の自然は全部好きです。だって素晴らしいですよ。花を見たって、四季折々にいろんな花が咲きます。春が来たら、まず卯の花とホトトギス。私の友達が三宅島に来て、「“卯の花の匂う垣根にホトトギス 早もき鳴きて……”って歌は三宅島の歌?」って言われたの。その方はまさにそう思ったって。

Imageそして、磯辺に行けばハマボッス、それからハマエンドウ、それと、カツバナといってハマヒルガオが咲きます。ちょうどカツオが獲れるころ咲くからなのか、ハマヒルガオのことカツバナって言ったんです。ハマヒルガオを粗末にすると、カツオが獲れなくなってしまうって。そうそう、そうしてスカシユリが咲いて、ハマカンゾウが咲いて、ああ、夏になる、そろそろ観光客が来るなぁって思うわけです。そしてホタルブクロが咲いて、もう道沿いをいっぱい飾るじゃないですか。もちろんアジサイも咲いて。

また少したつと、ススキの穂にアザミにノギクにでしょ。私たち子供のころは、そういう植物が群生していたんです。もうノギクが群生してるわけ。そこにアザミが咲いたり、ススキが垂れてたりして、ほんとにもう、美しさの宝庫でした。

体験記写真

雄山の中腹にあった通称「サウナ」にて娘さんと(1986年10月)

いま三宅島は都道で島を1周できるようになっていますが、私たちが子供のころも1周できる道っていうのはあったんです。三宅島は伊豆七島で唯一、島を1周できる島だったんです。でもその道も、リヤカーを引いてやっと通れる道。それでよかったんですから。そのあとに車が入ってどんどん道路が拡張されて。道路を整備することによって道辺の草は刈られるから、いままで道辺で見ていたいろんな花が見られなくなった。何が心地よい環境なのか、よく分からないですね。

このあいだの噴火とか、自然で変わったことは悲しくないんです。でも、人が住みよくするために、いろいろ変わっちゃったじゃないですか。道路を拡張するために森林が切り倒されたり。私たちが子供のころは、島じゅうの道路が真っ暗なぐらい木で覆われていたんです。坪田から阿古のあいだも、古木が茂って茂って怖かったんですよ。

体験記写真

雄山の笠地観音にあった椎の巨木。鈴木さんの大好きな木だったが、残念ながら2000年噴火後のガスの影響で枯れてしまった

三宅島の星空をみんなに見せてあげたい

昔は街灯がなかったから、夜は星空がきれいだったんです。もうその美しさといったら・・・・・・みんなに見せてあげたい、あの星空を。だから私いつも言うんです。7月8月の観光客がたくさん来ているとき、天気のいい日に、せめて夜9時から10分間でもいいんですから、街灯を全部消して真っ暗にして、みんなにあの美しい星空を見せてあげたい。星がどれだけあるか、見せてあげたい。そんな馬鹿なことをってよくみんな言うんです。でも馬鹿なことでもいい、私はそれを言い続けてる。

都区内から来てる人たちはいまでも三宅島は星が多いって言いますけど、私が子供のころは空がもっと低くて、ほんとに手が届くように近く感じたんです。星に食べられたらどうしようって、子供ごころに思ったものですよ。

三宅島は、昔は電気が24時間入っていなかったんです。私は、三宅島に24時間電気がついたときにはちょうど島にいなかったの。友達が、「三宅島に24時間電気がついたぞ、冷蔵庫が入るってよ、扇風機が入るってよ」って教えてくれて(笑)。昭和36、7年のころでしょうか。

電気のことでは今でも私は思い出があるんです。中学の修学旅行で東京に行ったとき、夜の10時近くまでみんなでワイワイやっていたんです。そしたら先生が来て、「あんたたちいつになったら寝るの」って言ったのね。そしたら男子生徒が、「だって先生、合図がまだ来ない」って言ったんですよ。三宅島はね、季節によって時間は変わるけど、9時半か10時になると「電気が消えますよー」っていう合図がしたんです。それを聞くとみんな急いで寝たり、夜なべしなきゃいけない人はランプに灯をともす準備したりするわけ。東京ではそのころもう24時間電気がついていたけどそんなこと知らないから、「先生まだ合図が来ないよ」って。笑って笑ってね(笑)。そういう笑い話が、やっぱりこういう生活の中ではあるんですよね。

体験記写真

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